リンドン 



 エルフには生殖欲がない。いや、薄い。
 現に、キアダンは最長老でありながらも、女性と関係を持ったことが一度もないし、
持ちたいと思ったこともない。
という話を聞いて、エレイニオン青年はびっくりしたものだ。
 でもしかし、キアダンのように情熱を注げるものがあるのは、羨ましい。
 エルロンドを抱きながら、ギル=ガラドはぼんやりと考える。
 情交に集中できないのではなくて、集中しないようにしている。
冷静に抱いているのは、これはどうなんだろうな。気持ちいいことは気持ちいいのだけど。
 これは、エルロンドを気持ちよくしてあげているのであって、
自分が気持ちよくなりたいわけじゃなくて、でも最終的に達する事ができるのは、
それはまあ副産物みたいなもので。エルロンドだけ満足させてやって、自分は結局達しないなんてざらで。
 じゃあなんで、こんなことをしているのかな。
 瞳を閉じて、気持ちよさ気に短い喘ぎ声を出すエルロンドに口づけし、
自分も気持ちよくなれるように、ちょっとだけ集中してみる。
 自分は、エルロンドの何に惹かれるのだろうな。

(痛い、ですか)
 
 ハッとギル=ガラドは目を開ける。エルロンドは瞳を閉じたまま喘いでいる。
 とくん、と心臓が鳴る。
 夢の切れ端、幻影の欠片を、手繰り寄せるように、ギル=ガラドはエルロンドを両腕で優しく包み込んだ。

(痛い、ですか)
 幼い声が、おずおずと尋ねてくる。
(痛くはない)
 その声は応える。
(でも、とても…痛そうです)
 泣きそうな声でその子は問う。
(エルロンド)
 星の光を宿す黒髪の少年。
(痛くはないんだ。失ってしまったものに、痛みは感じないのだよ)
 その声は、とても優しい。とても哀しくて、優しい。
(マエズロス)
 エルロンドは、彼の失った右手にそっと触れる。
(私はきみから、何もかもを奪ってしまった…私を憎んでいい。憎んでくれ)
 ふるふるとエルロンドは首を横に振る。
(マエズロス…ぼくは、あなたが好き。だから、そんな哀しそうな顔をしないで)
 辛く哀しく顔を歪ませて、マエズロスはエルロンドを抱きしめる。
(ありがとう。きみの存在に、私は救われる)
(ずっと一緒にいてあげる。ぼくが守ってあげる。だから、そんな哀しい顔をしないで)
 
「ギル=ガラド…王?」
 エルロンドをじっと見つめていたギル=ガラドは、エルロンドの呼びかけに我に返る。
「あ、ご」
 ごめん、君の記憶の中に入っていた…と言いかけて、慌てて言葉を捜す。
「すまない、きみの記憶を、垣間見てしまった」
 目を瞬いてエルロンドはギル=ガラドを見上げる。
「………すみません…私は…昔のことを、思い出していました。
王といる時に、別のことを考えるなんて」
 頬を染める。ああ、やってるときに別のことを考えるのは、自分だけじゃないんだな。
よかったよかった。
 って、繋がっている時にマエズロスのことを考えてたってことは、
彼ともそういうことをしてたってことか?!
「ギル=ガラド王になら、私の記憶の全てを、見られてもかまいません。
いいえ、むしろ…私の知っているマエズロスを、知っていただきたい」
 え、だから、マエズロスとやったのか? そうなのか?
「王」
 潤む瞳で見上げてくるエルロンドに、動揺を完璧に隠しながら、瞼に口づける。
「マエズロスの愚行を非難する声ばかり聞きます。でも私にとってマエズロスは」
「わかっている。私も、彼を尊敬していた。エルロンド、見せてくれるか。
きみの記憶の中の、優しかった彼の姿を」
 こくり、とエルロンドは頷く。
 ギル=ガラドは、エルロンドの奥に身を沈め、その記憶の中に潜っていった。



「ギル=ガラド王」
 会議の後、ギル=ガラドはキアダンに呼び止められた。
「何か?」
 つっけんどんに振向くも、内心、(何かしでかしたかな?)と焦ったりもする。
なぜなら、キアダンは、優しげに口元をほころばせているからだ。
「お話があるのですが」
「今か?」
「いいえ、今宵、私の部屋に来ていただけますか」
 うわーっキター!!
 ばれたか?! 昨夜エルロンドとやったことがばれたのか?! 
いやいや、それはもう知っているはずだし!! 他に何やった?? 何しでかした私!!??
「わかった」
 書類を持ってギル=ガラドの後に控えていたエルロンドが、二人のやり取りを不思議そうに見る。
 キアダンの部下ファラスリムたちは、ギル=ガラドが幼少の頃、
キアダンに預けられた頃から知っているので、こういう会話には慣れているし、
中には、「はじまった、キアダンのお説教」と微笑ましく見守る連中もいる。もちろん、表には出さないが。
 が、エルロンドはそんなことは知らないのだ。いや、歴史としての事実は知っているが。
「エルロンド、今宵は私はキアダンと話しがあるので、先に帰っていなさい」
「はい…何か、お手伝いする事はありませんか」
「その書簡を整理し、東方の情勢を地図に記しておいて欲しい」
「わかりました」
 エルロンドは頭を下げ、書類を抱えて書斎に向かった。
「ギル=ガラド王」
 キアダンの部下、ファラスリムの一人が仰々しく話しかけてくる。
「なにか?」
「東方からの来客が珍しいワインを持ってきましたので、お味見でもと思いまして」
 にっこりと笑っている。
「美味しいものらしいですよ」
「………」
「ニコニコ」
「………」
「あとでキアダン殿のところに届けておきますね。ああ、一本では足りませんか。強い奴をニ、三本」
「………すまない…」



 ファラスリムが用意してくれた美味しいワイン、を、すでに二人で一本開けているのだが、
キアダンの機嫌はどうなのかなぁ。と、ワイングラスごしにキアダンを見る。
普通に世界情勢の話やら海の天気の話やらしかしていないのだが、このまま終ってくれるのか?
「エレイニオン」
 わっキタ!
「適当な女と結婚して腰を落ち着けなさい」
「いやだ」
 即答してからビクリと身を引く。キアダンは、ぎろり、と、ギル=ガラドを見る。
「では、エルロンドと身体を重ねるのはやめなさい」
「無理」
「なぜだね?」
「エルロンドがしたがる」
 ひくり、と、キアダンの唇が吊り上る。
「誰が教えた?」
「ぼく〜」
「エレイニオン」
 わざと子供っぽく無邪気な風に笑って見せるが、顔は引きつる。
もう一度、キアダンに名前を呼ばれて、笑みを消して肩を落とす。方膝を抱えて、ワイングラスを弄ぶ。
「昔」
 グラスの中の、真紅の液体を眺め、その向こうに幻影を探す。もう、会うことのない、者たちの姿を。
「マエズロスが父を訪ねて来て、寝台の上で二人がいつまでも話しているのを見た。
父は、あんなに情熱的にぼくを見てくれることはなく、
あんなふうにマエズロスは信頼と安堵の表情を、ぼくには見せない」
 父の寝所を覗き見た幼児に、マエズロスは少し恥ずかしげに微笑んだ。
「エレイニオン、きみのお父上はきみのことを」
「愛していた。知っている。しかし、実感をしたことはない。
キアダン、ぼくはね、嫉妬しているんだ。いつまでも。父と、マエズロスに」
「だからといってエルロンドは、きみの恋愛の対象にはならない」
「そんなつもりはない。本当に、求めてくるのはエルロンドの方だよ。
すがってくる、と言うほうがいいか。それに、きっと、同じマエズロスの夢を見る」
(ぼくをもとめてくれればよかったのに)
 ふん、とキアダンはため息をつく。
 ギル=ガラドが、今まで、どれだけのものを失ってきたのか、
否、どんなに求めても最初から手に入らなかったものもある。
愛されたいと思った者には愛されず、心を通わせた者には決別し、
王という重責だけがのしかかる。
「エレイニオン、どうして辛い恋ばかりする」
「恋なんか、したことはない」
 グラスの中を見つめ続け、そこに何もないことを再確認する。
「エルロンドも、もう少しすれば、ぼくなんか必要なくなる。大人になれば。
だって、エルロンドは愛されることを知っている。愛することを知っている。
真っ当な恋ができる。今だけだよ」
 マエズロスやマグロールの記憶も、やがて光り輝く美しい思い出になる。
「きみがエルロンドと不埒な関係なのを知ったら、スランドゥイルは怒るだろうな」
 ギル=ガラドの手からグラスが滑り落ちる。
が、グラスは割れず、ワインを撒き散らして床に転がった。
いやあ、ファラスリムの作るガラスは頑丈だ。
「………これ以上、嫌われる事はない」
「緑森はわしのファラスリムの使者だけは受け入れてくれる」
「だから?」
「バラす」
 うわぁぁぁんっそれだけはっやめてっ
 必死の形相でキアダンにしがみつく。
 キアダンはニヤリと笑い、ふわりとギル=ガラドの肩を抱いた。
 海の、匂いがする。
「辛いのなら、西へ渡る船を作ってあげるよ」
「必要ない。まだ。でも、」
 そんなふうに言ってくれるキアダンの存在が、心の拠所になる。
 ほんの数瞬そうしたあと、ギル=ガラドは身体を起こした。
 落としたグラスを拾い、ドアに向かう。
「マエズロス殿は、エルロンドを抱いたのかい?」
 神妙なキアダンの問いに、足を止め、振向き、唇をゆがめる。
「抱かれたかったという思いしか残っていない。ひどいよな、マエズロスも。
こんなにも慕われているのに、結局、彼が愛したのは私の父だけだった」
 キアダンの表情は、ホッと安堵していた。



 自分の寝室のドアを開ける。
 膝を抱えるように本を読んでいた少年が、顔をあげ、嬉しそうに、愛しげに、「おかえり」と言う。
どんなに職務に疲れていても、その笑顔が愛しくて、愛しくて、
そのまま寝台に押し倒すと、彼はいつも困ったような悲鳴を上げるのだ。
「ぎ…ギル=ガラド王?」
 椅子の上で、エルロンドが困惑して上ずった声を出す。
 あ、やば、間違えた。
 慌てた風を見せず、ギル=ガラドはゆっくりと身体を起こす。
そうしながら、頭の中はフル回転で言訳を探す。
 帰って来るなり突然抱きつかれた事に、困惑しながらもエルロンドはどこか嬉しそうで、
半分にやけながらうろたえる。
「あの…」 
 間違えたとも言えないし、酔っ払った事にでもしておくか。
「あの、王…」
 もぞもぞしながら、服の留め金に手をかける。
 おお、その手があるか。
 何も言訳せず、やっちゃえばいいんだ。
 ギル=ガラドは何も言わず、エルロンドを寝台へ導いた。



「ギル=ガラド王」
 翌日、来客接待をいくつかこなしたあと、ギル=ガラドはキアダンに呼び止められた。
「何か?」
 にっこりと笑っているキアダンは、明らかに怒っている。
 え、なに? 何か怒らせるようなこと、した?
「あとでお話があります」
「うむ」
 キアダンが去った後、よく知るファラスリムが、ギル=ガラドの袖をちょいちょい引っ張る。
「?」
「…エルロンド殿の様子がおかしいです」
 面白がっているような口調。
「おかしいとは…?」
「恋する乙女みたいな表情」
 はい?
 書斎に行って見ると、エルロンドはエレストールと書類整理をしていたのだが、
ギル=ガラドの顔を見るなり頬を染める。
 げっ
 エレストールは気付かないのか気付いてシカトしているのか。
 二言三言、エレストールはエルロンドに書類の話をし、
部屋を出て行くときにすれ違うギル=ガラドに頭を下げた。
「王、ほどほどに」
 ぽそり、と小声で刺される。
 ええ〜まじか? 
 書斎に二人きりになると、確かにエルロンドは恋する乙女みたいな目でギル=ガラドを見つめた。
 ごめんなさいごめんなさいやりすぎましたごめんなさい…